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夫が[アルコール依存症][統合失調症]と言われた4年前。家出、借金、交通事故…。 前世療法に出会い、見つめなおした夫婦の絆。 家庭崩壊から再出発までの日々を綴った家族の記録。
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私とテッチャンはなんとなく付き合い始め、

一年が経とうとしていた。

今になって考えてみても、なぜ私たちは付き合い始めたのかも分からない。

どこのカップルもあるであろう、ドラマティックな告白や思い出なんてない。

彼?彼女??あ、そうなの?

って感じだった。

 

とにかく今までの人とは違う関係の1年だったことは間違いない。

しかも、喧嘩ばかり。

なのに、別れない。

まわりからは、『早く別れろ』と言われながらの1年。

 私たちは別れることもなく、過ごしていた。

 

春になり、2003年4月。

妊娠した。

テッチャンは言った。

『もう、潮時だなー。腹くくるか~。』

 

私たちは結婚したのだった。

 

 

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セレモニー事業部の仕事は、私には何も分からなかった。

今まで、お葬式なんてお焼香に行くくらいで

大人になってからは自分の身内でのお葬式さえなかった。

高校生の頃、おじいちゃんが亡くなっただけ。

たった一回しか、体験したことはなかった。

 

さておき。

テッチャン(夫)とここで出会うことになる。

セレモニー事業部の代理店。

下請けだが、現場での仕事は私たちと同じように動く。

背の高い、ちょっと軽そうなヤツだった。

頭悪そうだなー。

デカイ態度で歩いちゃって、感じワルー。

私の第一印象だ。

向こうはどう思ったか知らないけど。

 

そんなヤツが、葬儀になったら輝いていた。

社員からの信頼もあつかった。

(なにコイツ、仕事できるんじゃん)

そんな風に見る目が変わった。

私はこの時点ですでに【運命の道】に乗っていたのかもしれない。

 

そして気が付くと

一緒にゴルフ練習場に行ったり

酒を飲んだり

付き合いが始まっていた。

 

私たちの運命の歯車は完全に合致し

回り始めた瞬間だった。

これから起こる出来事など

考えることも無かったのである。

 

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短大を卒業し、私は希望通り

冠婚葬祭業の会社に入社した。

当時山梨県ではブライダル最大件数を誇ったA社である。

私は自分の結婚式を自分で作りたい。

そんな希望だけで、就職先を決めた。

就職活動は一本。

他の企業には目もくれず、私はA社だけを希望した。

4月。無事に入社し、希望通りの部署に配属された。

仕事は辛かった。と言うより厳しかった。

新入社員研修は自衛隊より厳しいと評判だった。

深夜の脱走者が出るような新入社員研修である。

そんな厳しい研修と噂を聞きつつも私は数日前に、

『お祝いだ』と言って酒を飲み歩いていた。

そして、風邪を引き体調を崩したのである。

発熱しながら、三泊四日の研修を乗り切った。

研修中の睡眠時間、合計で8時間にも満たなかった。

余談であるが、入社当時から私は

『一番に会社を辞めそうなヤツ』と噂されていたらしい。

 

残念ながら辞めるわきゃーない。

結構ド根性あるのだよ。と心の中で思いつつ

私は会社に土台を作って行った。

鼻血が出るほど働いた。(←これ本当の話。)

でも、辞めようと思った事はなかった。

しかし、3年が過ぎる頃、私の意に反した事業部への異動が打診されたのだった。

それは『セレモニー事業部』。葬儀屋だ。

冗談じゃない!なんで結婚前の若い娘が死んだ人相手にしなきゃならないんだ!

結婚式の仕事をしたくてやってきたのに、葬儀なんかしない!

もう辞めてやる。フンッ!

そう決めて、内示の夜辞表を書いた。

 

一ヵ月後。

私はずいぶんと仕事にもなれ、新しい先輩たちの中に居た。

『イヤなら辞めていい。でも、一度やってから決めたらどうだ?』

F部長の言葉に従って良かった。本当にそう思う。

その会社では、本当にいろんなことを学んだ。

私は、馬車馬のように働いた入社当時よりも葬儀に関わった事のほうが

私にとっての影響は大きかったと思っている。

嫌なことも、やってみたら本当に魅力のあるやりがいのある仕事だったのだ。

 

 

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私は二十歳を過ぎるまで・・・いや。結婚するまで

何一つ欠けるものなく育ってきた。

一人娘の私を

両親は何よりも大切に大切に育ててくれた。

いつの時も、どんなときも、

両親の愛情に守られていた。

一人娘だった私は

家族三人で居ることが当たり前であり

家庭は居心地の良い場所だった。

父親とは、とても良い関係だった。

(今もだけど)

兄弟の居なかった私にとって、父は友人であり

兄弟であった。

母は、かけがえのない人だった。

(今もだけど)

姉妹、友人、母親・・・全ての役割を

母は背負ってくれていた。

反抗期には、それなりに反抗していたらしい。

でも、私の記憶ではとても聞き分けの良い子供だったと

すりかえられている・・・かも。

とにかく私は『インナーチャイルド』とは

無縁の環境で育ったのである。

(とは言っても、セッションしてみれば居ました。インナーちゃん。

超ポジティブな中学生の私やら

『ピーマン食え!』と父にしかられた私がね。

たいした心の傷というわけではないインナーちゃんですけど)

 

 学生時代は、良く学び、良く遊んだ。

大切な友達にも恵まれた。

県内の普通高校、進学校に進み両親には短大にも行かせてもらい、

本当に充実した毎日を過ごさせてもらった。

 

希望していた会社にも入社できた。

仕事が大変でも、

充実した毎日だった。

 

それなりの挫折もあったけれど、両親からのたーくさん愛情の貯金

少しづつ貯金を払って、全て乗り越えてきた。

私は両親がくれた愛情

自分の

進む道を決めてきた気がする。

 

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  • ご注意ください
このブログは、私個人の体験と主人の変わっていく様子をつづったものです。 医師の診断を批判したり、否定するものではありません。ご承知の上、閲覧していただきますようにお願いしたします。
  • プロフィール
HN:
miwa
性別:
女性
職業:
セラピスト 
自己紹介:
幸せな結婚生活を夢見た私が結婚後すぐに直面したのは夫の家出。借金。そして家庭崩壊。
セラピーに出会い、ヒーラーとしての道を選んだ私は一年半の苦難を乗り超えて、今、夫そして3人の子供たちと支えあい生きています。
”セラピールームはな”主催。
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