短大を卒業し、私は希望通り
冠婚葬祭業の会社に入社した。
当時山梨県ではブライダル最大件数を誇ったA社である。
私は自分の結婚式を自分で作りたい。
そんな希望だけで、就職先を決めた。
就職活動は一本。
他の企業には目もくれず、私はA社だけを希望した。
4月。無事に入社し、希望通りの部署に配属された。
仕事は辛かった。と言うより厳しかった。
新入社員研修は自衛隊より厳しいと評判だった。
深夜の脱走者が出るような新入社員研修である。
そんな厳しい研修と噂を聞きつつも私は数日前に、
『お祝いだ』と言って酒を飲み歩いていた。
そして、風邪を引き体調を崩したのである。
発熱しながら、三泊四日の研修を乗り切った。
研修中の睡眠時間、合計で8時間にも満たなかった。
余談であるが、入社当時から私は
『一番に会社を辞めそうなヤツ』と噂されていたらしい。
残念ながら辞めるわきゃーない。
結構ド根性あるのだよ。と心の中で思いつつ
私は会社に土台を作って行った。
鼻血が出るほど働いた。(←これ本当の話。)
でも、辞めようと思った事はなかった。
しかし、3年が過ぎる頃、私の意に反した事業部への異動が打診されたのだった。
それは『セレモニー事業部』。葬儀屋だ。
冗談じゃない!なんで結婚前の若い娘が死んだ人相手にしなきゃならないんだ!
結婚式の仕事をしたくてやってきたのに、葬儀なんかしない!
もう辞めてやる。フンッ!
そう決めて、内示の夜辞表を書いた。
一ヵ月後。
私はずいぶんと仕事にもなれ、新しい先輩たちの中に居た。
『イヤなら辞めていい。でも、一度やってから決めたらどうだ?』
F部長の言葉に従って良かった。本当にそう思う。
その会社では、本当にいろんなことを学んだ。
私は、馬車馬のように働いた入社当時よりも葬儀に関わった事のほうが
私にとっての影響は大きかったと思っている。
嫌なことも、やってみたら本当に魅力のあるやりがいのある仕事だったのだ。
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セラピーに出会い、ヒーラーとしての道を選んだ私は一年半の苦難を乗り超えて、今、夫そして3人の子供たちと支えあい生きています。
”セラピールームはな”主催。
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