出産を間近に控え、一層テッチャンは異常な行動をとるようになっていった。
もちろん家には帰ってこない。
私はどうしていいか分からなかった。
協力者となるべき人からは
『放っておいてやってくれ。哲也の好きにさせるように』
という言葉が返ってくるだけだった。
『出産になったら、タクシーに乗って病院に行き、生まれたらメールで連絡して。
電話して機嫌が悪くなるといけないから・・・。』
私は、本当に辛かった。
母や友人に支えられ、やっとの思いで生きていた。
2003年2月10日の夜、出産の兆候が見られた。
近所のおばちゃんに病院に送ってもらった。
もちろん、テッチャンは居なかった。
一度帰宅していいと許可が出たので、私はタクシーで帰宅した。
念のため、テッチャンに電話したが、
『あーそう。帰れないから頑張って。』
それだけだった。
次の日。
立会い出産となった。
陣痛に耐える私を義父とテッチャンは横目で眺めていた。
本当に、辛かった。
12時07分。
虎太郎誕生。
しかし、テッチャンにとって立会い出産は『珍しいもの』でしかなかった。
テッチャンは立会い出産について自慢げに
《とても親とは思えない感想》を会社で披露していたと聞いた。
『出産になったら、タクシーに乗って病院に行き、生まれたらメールで連絡して。
電話して機嫌が悪くなるといけないから・・・。』
そんなことも言われたっけ・
2003年2月10日の夜、出産の兆候が見られた。
近所の人に病院に送ってもらった。
もちろん、テッチャンは居なかった。
一度帰宅していいと許可が出たので、私はタクシーで帰宅した。
念のため、テッチャンに電話したが、『あーそう。帰れないから頑張って。』
それだけだった。
次の日。
立会い出産となった。
陣痛に耐える私を義父とテッチャンは横目で眺めていた。
本当に、辛かった。
12時07分。
虎太郎誕生。
しかし、テッチャンにとって立会い出産は『珍しいもの』でしかなかった。
半年後、テッチャンは立会い出産について自慢げに
《とても親とは思えない感想》を会社で披露していたと聞いた。
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セラピーに出会い、ヒーラーとしての道を選んだ私は一年半の苦難を乗り超えて、今、夫そして3人の子供たちと支えあい生きています。
”セラピールームはな”主催。
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